戦没者記念碑


 午前中に仕事場で小物を作りながらTBSラジオを聞いていると、ゲストの秋山ちえ子さんが「かわいそうなぞう」の朗読を始めました。戦時中に上野(?)動物園で殺されなければならなかった動物たち(象)の実話を元にした童話のようです。

 太平洋戦争が始まると動物に与える餌が不足するようになり、もし空襲で動物園のオリや柵が壊れたら、街へ猛獣たち(?)が逃げ出して危険だと、象を薬殺しようとしますが薬を混ぜた餌は食べようとしません。注射をしようにも象の皮膚を通す太い注射針がなく、結局、餌を断って餓死させようとするのですが。お腹を空かせた象たちは、象使いの前で一生懸命に芸をして見せます・・・・・。

 秋山さんは毎年終戦の日の頃になると、この話をラジオで朗読することを続けて十何年にもなるそうです。うっかり、この話の原作者名を聞き漏らしました。スミマセン!

 写真は、大島町霊園元町墓地内にある旧元村出身戦没者記念碑です。大島町は1955(昭和30)年に6っの村が合併して誕生しました。ですから第2次大戦中(1941~45)は、旧六ケ村の時代でした。そのために旧村ごとにこうした記念碑や慰霊碑が建てられています。戦没者のお名前、お歳、戦没日や戦没地まで詳しく刻んだ碑もあります。
 
 泉津18名、岡田21名、元村57名、野増24名、差木地49名、波浮港39名 

 石碑に刻まれた戦死された方々(戦没者)の合計は208名にもなります。戦没地は、樺太(ロシア・サハリン)、満州中国東北部)、東シナ海、台湾、フィリピン、ニューギニアソロモン諸島サイパンテニアン硫黄島、沖縄、小笠原、などなどです。

 太平洋戦争では、大島から伊豆・小笠原諸島硫黄島マリアナ諸島へと連なる島々は、本州と南方を結ぶ海の道として、日米両軍にとって重要な位置にありました。島々には多くの軍隊が置かれ、激しい奪い合いが繰り広げられました。大島でも約1万5千人の部隊と島民が飛行場やトーチカや塹壕(ざんごう)などの数多くの陣地を築き、地上戦の準備も進めていました。大島や八丈島では、多くの朝鮮半島出身の人たちも動員されていたようです。

 大島には米軍の上陸はなく、空襲は爆弾や焼夷弾(ナパーム弾)の投下はあまりなかったようです。空母などに積まれた小型の戦闘機(艦載機)による機銃掃射が多く、少女を含む島民がケガをしましたが、死者はありませんでした。島の住民は、行政命令の強制疎開で、多くが本州の知人を頼って縁故疎開し、兵隊は民家に寝泊りしたそうです。1万頭いた乳牛がタンパク質補給源として徴用され、終戦時にはほとんどいなくなったとの記録もあります。

 海軍の特攻基地があったという波浮港の周辺には魚雷格納庫などもあったようですが、今は閉鎖されています。竜王灯台周辺のトーチカなどが、地域の方々のボランティアで草刈りされ、存在を知ることが出来ます。戦後60年以上経った今も島内の戦争遺跡は、ほとんど手付かずのまま放置されています。この眠っている戦争遺跡を保存・公開し、観光や平和学習の場として活用してはいかがでしょう。遺跡の保存に当たっては、「コウモリなど野生生物の生息地を守る」という観点も忘れずに。

 差木地の林浦寺境内にある記念碑には、こう記されています。
   「願わくは この碑を以て 人類相殺する戦争の 終止符たらんことを」

(なるせ)

後記:冒頭の童話は絵本でした。土家由岐雄(文)、武部本一郎(絵)
   町の図書館司書さんに教えて頂きました。有難うございます。