
参加者は15名でした。
勉強会の目的は「昨年の台風26号土砂災後、各自がそれぞれの仕事をしていたが、他の人がしていたことはわからない。互いの話しを聞き全体が見えるようにすること。そして、それを記録として残すこと。」
講師はボランティアの中核で活動してくれた小林さん。今年4月からは社会福祉協議会で被災者の生活支援を担当してくれています。小林さんは東日本大震災からボランティアに関わり、その後西伊豆、山口、島根など9地域に入り、最後が伊豆大島だったとのこと。
まず最初に小林さんから「ボランティアがどのような活動をしていたか」について、報告がありました。
「インターネットでは情報を取れない人がいるので、一軒ずつ回って個別にニーズ調査した。被災者の意見を聞き、一緒に話し合いながら考えていった。『こうした方が良い』という自分たちの思いを押し付けないことが大切。」
「ボランティアの1日の流れは…挙手制で仕事を割り振り、オリエンテーション(緊急連絡先、熱中症に注意、トイレの場所など)。チーム毎にリーダーを決め、道具を取りに行き作業。昼はボランティアセンターで食べる。ボランティアは食べるものは自分で準備するのが当たり前だが、大島は差し入れが充実していた。道具は洗って返す。道具の数をあわせるのと作業報告書の提出はリーダーの役目。」
「ボランティア終了後は毎日、中心となるスタッフでミーティングを行った。終わった場所の確認、活動報告書を元に『あとは、これくらいの人数が入れば終わる』などを話し合う。新しい希望を取り込み、連絡事項も共有した。」(みなさん、いつも夜遅くまで話し合われていたようです。本当にお疲れさまでした。)
小林さんの話のあと、参加者1人ずつから当時の体験談、感じたことなどを聞きました。
全文だと長いので、皆さんの話の中から私が印象に残ったことを、ここで共有します。
Aさん
「災害は今もショック。忘れないと思う。個人的には災害発生を知りすぐに、オニギリ20個、ゆで卵20個、サンマを持って開発センターに走った。その後は婦人会として、さくら小学校2階でずっと炊き出し。泊まり込みでやった日もあった。朝,昼、夜とα米炊き続けた。またボランティアを受け入れる施設に、毎日掃除に行った。トイレとお風呂を用意して待っていた。」
Bさん
「空港脇で宿をしているが、災害の翌日から1ヶ月半、ANAが交代で3人ぐらい来て、病人や老人ホームの人などの飛行機への搬送を行っていた。帰りもバラバラであったが、朝と夜の食事を出し続けた。」
Cさん
「S小学校ではα米を3食炊き出した。若い先生はボランティアへ行っていた。3日間休校。小学校体育館で被災者受け入れていた。」
Dさん
「最初の頃は半日ずつボランティアに参加した。土嚢の入れ方も知らなかった。休憩とってくれと言われ、最初は取りたくなかったが、長期になると休憩は必要だと思った。その家の人のニーズを拾いながらやることの大事さを感じた。休憩時間に他地域から来た人と交流できたのも良かった。泥出しは体力的にキツくなり、途中から道具の管理や、島外から来た人に対してマップを作ったりした。災害が落ち着いてからも大島に来てほしいという思いがあった。南部に住んでいるとギャップを感じ、どこか人ごとに感じているというもどかしさがあった。」
Eさん
「昨年7月に大島に住み始め、気づいたら災害になっていた。整骨院を開業する予定だった。10月~12月はボランティア参加。泥出しや、住民交流会“あいべえ”で、自分の技術を生かしてマッサージを行った。土砂出しが終わり「落ち着いてからが心配」とのことで、地元住民でボランティアグループ“ぼらん”を立ちあげた。」
Fさん
「夫の転勤で4月に大島に来た。災害が少し落ち着いてからボランティア参加。泥の食器洗いや「かわら版」を配る活動をした。オーストラリアの若い男の子がボランティアに来て、和気あいあいとやっていたのが印象的。また差し入れのオニギリや団子を、皆でシートに座って食べたのも覚えている。「かわら版」を配ると、たまには迷惑そうな人もいた。善意の配布も「いらない」と言われ、独善的ではいけないが行動しなければ始まらず、難しいと思った。」
Cさん
「子ども達が、疲れていると感じることがあった(親戚が被害にあうなど)」
Gさん
「ボランティアには10回ほど参加した、毎日ボランティアが何人来るかわからない中で、500人来てもちゃんと回っていく組織力に感心した。半日参加が多かったがそれを認めてくれたり、子連れボランティアに場所を準備したり、参加がしやすかった。」
講師
「大島の500人は少ない方。大島は陸続きではないので、宿や船も限りがある。東日本や広島では1日1000人単位で人が来ている。人数に対して恐怖心はないが、人数が多いと道具が困る。だが道具もなんとでもなる。たとえば板があればスコップかわりにできる。事前にあまり考えすぎず、その日の雰囲気や、その日の参加者を見て考える、そこには経験値が生きていると思う。大人数は皆を同じ方向に向けるのが難しいが、ボランティアはやりたいことが明確なので、ベクトルをあわせやすい。」
Hさん
「ボランティアを通し、若者が成長していく、そして人がつながり育つのを見ていた。組織力を作るうまさを感心して見ていた。日本中から送られてくるタオルやマスクの仕分けなど、目に見えない仕事がたくさんあった。」
Iさん
「大島社協職員。もともと5人で通常業務やっていたので、災害がおきても何もわからない状態。社協は災害後住民に認識されるようになったと思うが、それもサポートしてくれたボランティアスタッフのおかげ。」
Jさん
「災害現場の近くに住んでいるのが精神的にキツかった。何かしたいけど、体が動かない。近所に住んでいても普段は話さない人たちとの会話が、亡くなった人の話しだとか、マスコミにマイク向けられたりとか、自衛隊がいっぱいいたりという普段と違うことに疲れていた。そんな中、プランターの花植え運動に関わった。花鉢を作りメッセージを入れて置いていってもらうという場所に立たせてもらった。阪神、東日本の災害経験を入れながらメッセージ入れてくれる人もいた。」
Kさん
「親しかった人たちが6家族なくなり、助かったが家をなくした人たちが3家族いて、その人たちに会いに行くので精一杯。年で役に立たないと思ってボランティアはしていなかったが途中から「あいべえ」にお邪魔し、ビラ配りなどをした。週1回、仮設住宅でも活動。その場所で同じ空気を吸わないと理解できない。ボランティアは自己満足だと思っていた。今もそう。何かをしてあげているというより、自分がもらっているものの方が多い。それがあるから出向いて行くのかな?と思う。」
Lさん
「台風当日夜中に家を出て、車が流されそうになったりしながら会社(牛乳工場)に行き、椿園の配達に行って災害を知った。知り合いの家が残っていたので3日間だけ会社を休ませてくれと言って、友人を頼み片付けをした。あとは仕事で、ボランティアはできなかった。ボランティアが統一されていて、驚いた。」
Hさん
「必要な道具も、日々の状況により変わることを知った。火山灰固まるとつるはし。床下は灯りが必要になった。」
Mさん
「南部にいて温度差が激しいと思った。災害当日は朝の7時過ぎに友人から電話、大親友の家が流されたと聞いて車で駆けつけた。友人家族が嘆き悲しみ、なにをどうしてよいかわからない。何の情報もなく、生きているのかもわからない、何日も元町に入り、家族と一緒に探し続けた。数日後親友は見つかったが、幽霊のような状態で1ヶ月が過ぎた。毎日その家族の側にいて、ただ過ごしていた。ボランティアをする気持ちすら湧かなかった。」
Nさん
「骨折してプレート抜く手術のため東京にいて、手術の朝のニュースで災害を知った。午後手術して、翌日には帰してもらった。当時は役場の出張所勤務だったが、自衛隊の受け入れでバタバタし、3~4日は泊まり込み、断水していたので水を取りに行ったり、次の台風に備えて土嚢作りしたり、なにをどうしたかわからない状況で働いていた。」
Oさん
「宿だったので日中は買い物で全てのスーパーを回った。夜は12時過ぎとかに帰ってくるがそれから夕食を出した。それぞれがそれぞれの立場で、できることをやっていくことが地域力ではないかと思った。大島が災害を受けたことで、他の地域で災害にあった人たちの声により近づいたと思う。忘れてはいけない、何かがあったら声をかけるなど。ブログを通して、現状を知ってもらいたいと思って書いている。」
Hさん
「“きずな”という言葉を実感している。災害前よりも若者と話せるようになった。“あいべえ”に行って、お年寄りの仲間もできた。災害はマイナスだけではないと感じた。“シマイル”“ぼらん”など、2つの団体が生まれた。」
…と、このように、参加者全員で語り合いアッという間に時間が過ぎました。
終了後のアンケートでは「皆、それぞれの立場でそれぞれの場所で、でも心はひとつに動いていたことを知って有意義だった。」という感想が多く「情報を共有することは、時間がたっても出来るのだと改めて思った。」という声も聞かれました。
「なるほど!」や「同感!」と、何度も思った2時間でした。(勉強会記録の全文やアンケート結果などは、いずれどこかにまとめてお知らせしたいと思います。)
最後に、お知らせです。
ボランティア時の注意点が整理されている「災害ボランティア入門」の資料配布がありました。入手をご希望の方は、社会福祉協議会(04992-2-3773)までお問い合わせください。
また「10月15日、午後6時から8時まで、大島社会福祉協議会横の駐車場で献灯(キャンドルナイト)を行うのでご参加ください。」とのことです。こちらも詳細は、社会福祉協議会までお問い合わせください。
(カナ)