ジオパーク研修会「自然災害とジオパーク」その1

現在、三陸で行われている「自然災害とジオパーク」というテーマの研修会に参加中です。

初日の今日は、ジオツアー。八戸~宮古まで、バスと震災学習列車を利用して移動しました。
とても中身の濃い内容で、考えさせられることがいっぱいのツアーでした。

1回では報告しきれないので、今日は午前の部だけ簡単にまとめてみます。

朝7時に出発し、朝食はここへ。



魚菜小売り市場で、各自好きなおかずを買い、御飯とみそ汁を買うシステム。

イワシやサンマ一皿¥100、名物のイカ(真イカ?)は一皿¥210。

八戸が豊かな漁場であることが、良くわかる品揃えでした。

ここの商店の売り主は、この道40年の地元の女性陣とのこと。

朝からこの地でないと味わえない雰囲気の中で、味しい海の幸をいただいて、気持ちも温かくなりました。

さて、最初の訪問地は、種差海岸の蕪島神社。
ラジオで神社の案内を聞けるシステムも、導入されています。

鳥に詳しいプロのガイドさんが、色々説明してくれました。

ここはウミネコの繁殖地とのことで、草笛でウミネコの鳴き声を真似て聞かせてくれました。

これが本物と区別がつかないぐらいそっくりで、とてもビックリしました!

さらに、鳴く時の動作まで解説してくれ、全員でジェスチャーするという楽しい盛り上げも…。

語りの上手さに引き込まれました。

階段の途中に津波の到達点の表示がありました。

昭和8年の津波到達点です。

さらに少し上がった所にはこの表示が…

ここでガイドさんから「皆さん、最初の表示からここまでどのぐらいかかりましたか?」という問いかけがありました。

聞かれるほど離れていないので、問いかけに少し驚きました。
「10秒ぐらい?」と考えていると…

津波は怖れる自然現象ではありません。逃げ道の確保と地震警報が鳴る前に逃げることが出来れば、命は守れるんです。」と語ってくれました。これ、かなり目からウロコの話しの展開でした。

さらに「八戸は丘の上に町があります。東日本大震災では8-15mの津波が来て、経済的被害は大きかったが死者は2名で、それは海に見に行った者だけでした。20mの崖は海成段丘。全部で8段の段丘があり、削られてなだらかになっています。崖には小道がついていて、上に容易に逃げられます。

家が丘の上にあるので、このあたりで昔から住んでいる人は『防潮堤はいらない。』と言い、作りませんでした。明治以降8回、5mを越える津波が来ました。『防潮堤は命を守るためではなく経済活動を守るため。職場はまた建て直せば良い。』という考え方です。津波を怖がっているのは、新しく来て低い土地に住んだ人たちです。」とも語っていました。

確かに建物は高い丘の上にありました。

昔から引き継がれて来た、生きるための知恵に感心しました。
(ただ、全ての地域が高い所が平らとは限らず、地域ごとの差が大きそうな気がしますが…。)

次に天然芝生地の種差海岸を訪ねました。

バスの中での説明によると
岩手県から青森県一部にかけて、海成段丘として馬の飼育に適したなだらかな地形が16kmに渡って続いている。八戸は『やませの風(初夏から夏場にかけて海から吹き上げる、霧をともなった冷たい風)』が吹き米がとれないため、馬で収益を上げていた。トラクター代わりの馬として、武士の乗る軍馬として高く売れた。現在は放牧はしていないが、馬刺、駒踊り(馬の健康的飼育を祈って神に奉納)などが残っている。また、米の代わりの雑穀料理(南部せんべい八戸せんべい汁、マメ部汁など)が発達した。」とのことです。

次に「種市層ウニ増殖溝」を訪ねました。

干潮時に岩盤が露出して海藻などが育たない岩盤に、昭和50年から養殖を開始。
くし形上に溝を掘り、海水の流れを起こしてウニの養殖場を作ったそうです。
津波で流されて大変だったところに、水産会館も完成したばかりとのことでした。

午前の最後は「琥珀博物館」へ。

日本最大の琥珀の山地が久慈市で、琥珀は樹木から染み出た樹脂などが化石化したものだそうです。明治時代には1日1トン採掘し、船の塗装などに使ったそう。

「なぜ、久慈に琥珀が多いのか?」という質問に対し、ガイドさんは…
「この地域に杉が多く、樹脂が出た瞬間に何度も大雨洪水があって、流れた樹脂が流されて海に運ばれた。海面からの隆起が大きく、琥珀が積った地層が地上に出て、波で海岸に寄せられたのではないか?」という意味のことを語られていました。

ガイドの皆さんのおかげで、八戸のジオをとても興味深く感じました。

では、続きはまた明日報告します。

(カナ)