昨日、昭和新山の持ち主であり、火山と共に生き続けた三松三朗さんが天に召されました。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
三朗さんの、火山を命ある存在のように捉え、真正面から向き合いながら、共に生きようとするその姿勢は、日本中の多くの人に影響を与えてきたと思います。
難しい理論ではなく、火山への敬意と自然との向き合い方そのものが、多くの人の胸を打ち、行動を支えてきたのだと思います。
昭和の噴火当時、地元郵便局長だった三松正夫さんが、戦時中で専門家も観測ができない中で溶岩ドームの成長を記録し続けました。農地が溶岩ドームとなって困った地元の方を支えるため、私財を投じて土地を買い取り、そこが天然記念物の「昭和新山」となりました。
養子となった三松三朗さんは、その志を受け継ぎ、昭和新山の持ち主となると共に、「三松正夫記念館」を設立。正夫さんの資料や作品だけでなく、さまざまな火山資料を公開し、その精神を次世代に伝え続けてこられました。

私が三朗さんと最初に出会ったのは、2011年のジオパーク全国大会で洞爺湖有珠山を訪れた時でした。大会中のツアーで昭和新山に一緒に登った時、赤く熟したグミの実を頬張りながら楽しそうに山を歩き、敬意を込めて火山を語られる姿が、とても心に残りました。
伊豆大島にも、何度も訪ねてくださいました。
2013年の土砂災害の後には、私たちの見舞い+災害現場の調査として、わざわざ日帰りで来島されました。(写真左)

他にも「火山博ネットワーク」の皆さんとや(写真左下)

「有珠山周辺地域ジオパーク友の会 」の皆さんとも来島され(写真左下)

「各地の火山を“みんなで”学ぼう」という姿勢を、一貫して貫かれていました。
伊豆大島に関する資料を見つけるたびに送ってくださり、何度も感動しました。
その、ひとつひとつの気遣いや優しい言葉が、今も忘れられません。
2014年の御嶽山噴火で私がショックを受けていた時、それを察して連絡をくれ、「毎日火山を見ていれば、必ず噴火のサインを送ってくれるはずだから大丈夫」と励ましてくださいました。
この言葉を、私は「フィールドを歩き、火山から学び続けなさい」というメッセージとして受け取り、今も大切にしています。
三朗さんの存在に元気をもらいたくて、私自身も何度か洞爺湖有珠山ジオパークを訪れました。最近では、2022年6月と…

今年の5月です。

有珠山地域で活動するジオガイド・江川理恵さんが2年前に書かれた「むしゃなび」というサイトの記事内で紹介されていた三朗さんの言葉が、その人柄を表してくれているように思います。
「人間は自然をコントロールできない。だから“防災”という言葉は本当は好きじゃない。災害の裏にある恵みにきちんと感謝して、人間の方が身を引くことが大切なんです。」
この思いを軸に三朗さんは、有珠山に関わる火山専門家の方々とともに、必ず訪れる次の噴火に備えて、「洞爺湖有珠火山マイスター」という仕組みを立ち上げました。有珠山を愛して学び、伝えることができる人たちを育てることに尽力されてきたのだと思います。(個人の興味だけでなく、労をいとわず周囲の人々をまとめられていたのが、すごいと思います)
大島のジオノスにも関心を寄せてくださり、多くのアドバイスをくださったと聞いています。完成をとても楽しみにされていたようで、2ヶ月前にも「何とか伊豆大島訪問を実現したい」というメールをいただいていました。
残念ながらその願いは叶いませんでしたが、今は青空の向こうから、きっと笑顔で私たちを見守ってくださっていると信じています。
三朗さんからいただいた“思い”を、これからも受け継ぎ、できることを一つずつ重ねていきたいと思います。
三朗さん、今まで本当にお疲れ様でした。
そして、ありがとうございました。
(かな)