大島の火山・その7 火口

今日は山頂に戻って火口について、今現在で知っている事をまとめてみたいと思います。

私達が「火口」と呼んでいる場所は、1777年に始まった“安永の大噴火”でできた穴の事を示しています。
(火口1周コースはこの時の火口の縁を回るような感じで造られています。)

その後現在に至るまで、1986年の噴火も含めて5回の中規模噴火があり、
その度に流れ出た溶岩や噴出物で、穴はどんどん小さくなっていきました。

現在観察できる直径300~350mの穴は、「火口」に対して「火孔」と呼んで区別しています。

この火孔、実は噴火1年後の11月に出来たものだと知っている人は、意外に少ないようです。

1986年の噴火の直後、火孔の表面は冷え固まった黒い溶岩で覆われ、その下には赤いマグマが溜っていました。
それが1年後の爆発で再び陥没し、マグマも地下に戻って、現在私たちが目にしている火孔が誕生したのです。

上の写真の左半分を大きくしてみましょう。

画面の左半分を占める黒い部分、これが1986年の噴火後1年間、火孔を覆っていた表面部分だそうです。
爆発の際、砕けて飛ぶのではなく、そのまま垂れ下がったということです。

穴の上部では、縦の筋が入った垂直な部分が縁取っていますが、ここは表面を覆っていた“カサブタ”部分の断面です。
表面に近かったため冷えやすく、ちょうどアア溶岩の断面と似た形状になっています。
縦の筋は溶岩が冷えて収縮し、亀裂が入ったためにできたものです。

では、右半分からは何が読み取れるでしょうか?
赤や白が混ざった複雑な模様をしています。

これについてはよく、「赤い部分は高温酸化が進んだ部分、白い部分はゆっくり冷えた岩脈」のように解説されています。
ところが、これをそのまま説明すると、ほとんどのお客様に「はあ?」という、何だかあまり納得できないような表情をされてしまいます(^_^;)

確かに私もこれだけだと、いつ溶岩が酸化していつ岩脈が冷えたのか、うまくイメージできません。
自分も良くわかっていないのに資料で読んだことだけ説明しても、お客様にわかっていただけないのは当然ですよね。

それで、またまた“やぎさん”こと川なべさんに質問してみました。
川なべさんからは、下記のメールをいただきました。

「赤い酸化した部分はクリンカーやスパッターのように穴が多くてスカスカなので空気が通りやすく
それと高温のために酸化が進むわけです。
一方,岩脈はスパッターのように穴も少ないので,中を空気があまり通りません。なので酸化されずにいるわけです。

(白い部分が)噴火の時に作られた岩脈なら、(爆発当時は)まだ冷えていないと思います。
岩脈はまだ冷えて固まりきらない,お粥のような状態だと思えばいいかと。」

な、なるほど!酸化して赤くなるためには高温のまましばらく空気に触れている必要があるのでしたね・・・。

と言うことは、この赤や白の部分は1986年の噴火の時に穴を埋め尽くしていた溶岩の部分ではなく
それ以前の噴火で降り積もっていた赤い部分に岩脈(白い部分)が侵入した、と考えれば良いのでしょうか?

でも、確か「穴は噴火の度に小さくなっている」と聞いたような・・・?
だんだん孔が大きくなっているなら、以前の噴火で降り積もった部分が露出してくることもイメージしやすいのですが・・・。

ウ~ン・・・わかりやすく説明しようと追求するうちに、逆にわからなくなって「?」マーク続出になってきました(^_^;)

また“やぎさん”に質問してみます。
もしかしたら、コメントで回答いただけるかもしれないので、答えを知りたい方はコメント欄もチェックしてみてくださいね。

いずれにせよ、今の火孔の景色が楽しめるのも、次の噴火までの短い(?)期間です。
その後、ここの景色はどのように変化するのでしょうか?

この“火孔”の雄大さを、今のうちにジックリ鑑賞しておきたいですね。
まだ火孔を見たことがない方は、噴火前に是非、お訪ねください~(*^_^*)

(カナ)