ホテルの駐車場に車を入れ、外を歩いていたおかみさんに挨拶をしたら「今日はおびんずるさまよ。」と教えてくれました。
「おびんずるさま」は「目の神様」と言われていて、地元では1月8日にお参りに行くのだそうです。
「目の神様?それは行かなければ!」(現在緑内障治療中なので…)
「おびんずるさま」は元町の薬師堂に安置されている神様です。
今日は薬師祭が行われ、普段は閉まっているお社も開いているとのことでした。
薬師堂に行くには舗装されている道とワイルドな道の両方がありますが、私たちが選ぶのはもちろんワイルドな方です。(笑)
以前はこの道が好きで何度も歩きましたが、道中人に会ったことは一度もありませんでした。

でも今日は、数人ずつの女性グループが神社に向かって歩いていました。
薬師堂は太いスダジイやタブノキが生える、静かな森の中にあります。

人の背丈の10倍以上ありそうな大きな木が枝を広げ、緑の葉が頭上を覆う景色は、まさに「鎮守の森」
入り口にある説明文によると、本尊の「薬師如来」は人々の「病苦を救う神様」で、その外側には「特に眼病に霊験あらたか」な「おびんずるさま」が安置されているそうです。

さらに1552年9月に三原山が大噴火した時、その鎮静祈願のために伊豆の下田から来島した修行僧が、般若心経を1万巻読んで法華経を書写したとか…火山の島らしい言い伝えですね。
境内の巨木に見とれていたら、お社の方向から歌が聞こえて来ました。

何かが始まっているようです。
お社の前では白装束の人たちが歌を歌い、その場にいる人たちが手拍子をしていました。

「めでたきもの」という祝い歌なのだそうです。
歌詞はわかりませんが、みなさんの優しい歌声が森に響いて、とても素敵な雰囲気でした。
お社には説明文に書かれていた通り、「薬師如来」と「おびんずるさま」が安置されていました。

今までは扉が閉まっている状態でしか来たことがなかったので、今日始めて説明文の内容が実感としてわかったような気がしました。(来て良かった~)
さて「おびんずるさま」の目に触らなければ…

でも御賽銭箱があるので「おびんずるさま」には手が届きません。
そこで…
お社の前に、誰かが奉納したという別の「おびんずるさま」が!

もちろん、両目を撫でさせていただきましたよ。
目が良くなるといいなぁ…。
ところで白装束のみなさんは「三原講」といって「山を神様と崇めている人たちの集まり」なのだそうです。現在40数名の会員がいるとか…。

1月8日が薬師祭、6月1日が三原山の山開きで三原神社へ、6月15日は行者祭で行者屈(大昔の火山を波が削った洞窟)へ出かけて「山に治まっていただく」ための行事をするのだそうです。
20年ぐらい前から使われているらしい旗には、「三原講」の皆さんで一緒に詣でた神社の印が押してありました。シブイです!

富士山頂の神社の印も、押されていましたよ。
そして白い衣装の背中にも…

会員として長い人の衣装ほど、他の神社に詣でている回数も多いので、たくさんの印が押されているようです。貴重な衣装ですねぇ。
元町の「祝い歌」は最初に歌われていた「めでたきもの」の他に「八幡崎」と「今の十七」という3つの歌があるのだそうです。今日は3つとも歌われていました。
「“今の十七”ってどういう意味だろう?」と思って聞いてみたところ、「十七が一番いい歳ってことだよ。十七になれば結婚もできたしさ。」とのことでした。なるほど…。

火を噴く山を「神様」として詣で「祝い歌」を捧げる…その歌声も全体の雰囲気も本当に素敵でした。
歌を聴きながら、「これぞまさにジオパークだよなぁ!」と思いました。
薬師祭では数年前から1月8日の参拝者に、お汁粉やみかんなどを振る舞うようになったそうです。
私もしっかりいただきました!

とっても美味しかったです。
ありがとうございました!
神社を後にしながら柳場と「面白かったね!」と語り合いました。
数年前まで海三昧の生活だった私たちが2人とも、同じように「面白かった」と感じるのは、年を重ねたからなのか、三原山を歩いて火山を敬う気持ちを持つようになったからなのか、それともジオパークに関わるようになったからなのか…?
理由はどうあれ…今日の「三原講」の皆さんの笑顔と歌の風景は、大島の財産だと感じました。
火山という大きな存在を身近に感じながら、それに沿うように人の暮らしがある…これって今の時代にあってはものすごく健全で、貴重なもののように思えます。
「この島に住めて良かったなぁ。」と、あらためて思った1日でした。
神社を出たところに、マンリョウが見事な赤い実を付けていました。

鮮やかな赤い色が、まるで薬師祭を祝っているみたいでした~。
(カナ)