私も「ジオパーク推進委員会」所属ということで声をかけてもらい、行ってきました。
コースは岡田港周辺のみ。

来年はまた別の場所を計画しているとのことです。
最初の見学場所は「大嶌でん吉」という明治初期に怪力でその名を馳せた力士の碑。
でん吉は「関取2人でも動かせなかった大石を1人で楽々動かした」と伝えられています。

碑の横にある楕円形の石は、でん吉が両手で差し上げた物とのこと。
推定750kgあるとの説もあるようですが、測った人はいないようです。
明治期の青年達の力試しには、よくこうした石(力石)が使われ、これを両手で頭上に差し上げることができれば一人前と言われたとのこと。
漁師町でもあった岡田地区には、ここ以外にも数カ所に力石が残っているようです。

とある民家の玄関前にある力石を、みんなで見学。
力持ちらしい(?)若者がチャレンジしましたが…無理だったようです。

そうとう重そうですが、本当に明治時代の若者達はこれを持ち上げられたのでしょうか?
でん吉の生家跡と言われる空き地にも、石が2つ置いてありました。

見事な楕円形で気泡もありませんが、これは大島の火山の石が海で転がされたものなのでしょうか?
それとも、どこかから運んで来たものなのでしょうか?
(12月4日に火山専門家の方に見てもらい、石は溶岩だということがわかりました)
「家の土台に海岸の石が使われていた時代の風景がまだ見られる」ということも教えてもらいました。

波にもまれて丸くなった溶岩の上に家が乗っているのを見ると「火山の島だなぁ」と思います。
でも…地震の時に家が土台から落ちてしまうことはないのでしょうか??
神社の参道の石垣も溶岩です。

それほど形がそろっている感じではないのに、これで崩れないのですね…。

石垣をじっくり見たら隙間には火山灰っぽいものが詰まって、そこから草が生えていました。

これは最初から火山灰を含んだ泥状の物を石の隙間に埋めたのでしょうか?
それとも土や火山灰を含んだ水が流れ込んで、自然に石垣をうめていったのでしょうか??
(これも誰かに聞かなければ!)
集落の中の道路は、曲がり角をずらし道をカーブさせてあります。

これは、風の強い大島で風を避けるための工夫なのだそうです。
昔の暮らしには、島独特の自然と寄り添うための工夫が凝らされていたのですね。
ところで岡田港の集落には、神様がたくさん祀られていました。
月天様。

民家の間にひっそり建ってる月の神様。
日天様

今は港前の漁協売店の屋上にある太陽の神様。
水神様

家と家の間のわずかなスペースにあるかつての掘り井戸の跡。
水の乏しい大島では、このように水を得ることができる場所に水神様が祀られることが多いとか。
弁天様(龍王神社)

1703年の大津波でたくさんの人が亡くなった時「これは海の底にいる龍王様が怒ってしたことだ」として、龍王様を慰めるために祀られたもの。
下町の地蔵尊

山に登る道の始まりにあるとのこと。
筆島と同じように固い溶岩が波に削られずに残り、海に突き出たオタイ(御躰)様。

「子どもの頃よくオタイネに登って遊んだ」という話しを聞かせてくれた人もいました。
そして最後に…源為朝が祭神の八幡神社。

「後ろを見てわかるように、大島は溶岩でできている。岡田は溶岩の扇状地のようなもの。だから溶岩をどけて道を開くのが村作りだった」という講師のK校長先生の話しに引き込まれます。
「“てこ”で溶岩を突っつくのが道びらきの始まりです。」

無形文化財にも指定されている「てこ踊り」は「神聖なものなので今ここではできないが、再来年の祭りを見に来てください」と説明がありました。(来年は祭りは中止と決まったようです)
歩いて10分でまわれる狭い範囲にこれだけ神様がたくさんいて、どこも奇麗に手入れされているということが本当にスバラシイと思いました。
月や太陽、水や海、火山を敬いながら受け継がれて来た島の暮らし。
そしてそれを、次の時代に伝えようとする人々…。
どれもが正に「伊豆大島」なんだなぁと思いました。
そしてこの、伊豆大島ならではの物語をきちんと伝えていくことが「ジオパーク」なんだと思います。
樋口先生、講師の皆さん、お疲れさまでした&ありがとうございました!
いつか地域ごとの「ジオパークパンフレット」を作れたらいいなぁ…。
(カナ)