6月22日、ジオパーク研究会主催の岡田地区勉強会に参加してきました、
講師は地域の重鎮・Kさん。
参加者は約30名と多く、関心の高さが感じられました!
最初に、船客待合所の屋上に上がり、岡田の集落全体を見渡せる場所で、地域の成り立ちについて、地図も使って話を聞きました。

岡田地区は、大きく分けて「上(かみ)」、「下(しも)」、「山畑などの農耕地」の三つのエリアに分かれており、それぞれに暮らす人の気質も違うそうです。今回はその中でも「しもぼう」地区を中心に巡るとのこと。
Kさんのお話によると、数10万年前に活動していた古い火山からの溶岩が、海まで達した場所の上に、岡田の集落が築かれており、地下には硬い溶岩層があるため、道を切り開く「道開き」がとても重視されてきたとのことでした。
また、この地域では教育への熱意がとても強く、戦後から現在まで、岡田地区全体で約60名、しもぼう地区だけでも約40名もの教員が輩出されたそうです。
「山や畑を売ってでも子どもを師範学校に出した」とのこと。ちなみに、小学校・中学校ができたのは、島内で最も遅かったそうですが、もともと寺子屋による教育が根付いていたからではないか、と話されていました。
全体の説明が終わり、港へ降りていくと、

ちょうどトサカノリの出荷準備中で、カゴが並んでいました。

刺身のツマとして利用される海藻です。

伊豆大島の潮位を測る機械が格納された建物も紹介してもらいました!

左側の白い四角い建物が、それです。
「浜宮様」と呼ばれる龍王神社。

江戸時代の元禄関東地震の津波で、この地に被害が出た後、海を見下ろせるこの場所に建てられたそうです。
4方向に道が分かれる場所にある「四辻地蔵」。

道しるべになっていたそうです。

源為朝が大島に流された後、テコを使って集落を作ったとする話は、「天古舞(てこまい)」と呼ばれる踊りとなってこの地に受け継がれ、東京都無形民俗文化財に指定されています。
境内には、個人宅に祀られていた神様を集めた場所もあります。

この場所のほか、青年たちが力比べに使っていたと言われる石も、看板が新しくなっていました。

きちんと手をかけて綺麗にされている風景は、地元愛が感じられて居心地が良いです。
神社の奥の細い道を通って、坂の上へ出ました。

人口増加に伴って、人々が坂の上に移り住むことになり、お墓も別の場所に移した話を聞きました。

再び階段を下って、下の町へ。

昔の暮らしぶりがわかる写真と

今の景色を見比べながら歩き、

海岸に出ました!
ちょうど干潮で、水面より上に出た溶岩の形を見たら、溶岩がシワになって、海に流れたのがよくわかる風景でした!

(右から左に向かって溶岩が流れてシワがよったのだろうな、と思うのですがどうでしょうか?)
地元で子ども時代を過ごした方のお話は、自分の子ども時代の思い出ともリンクして、とても興味深くて面白かったです。

伊豆大島、火山も景色も人の暮らしも、とても楽しいです。
岡田地区以外の地区も、それぞれの個性があり、魅力があるので、機会があれば他の地区も学びたいです❣️
(かな)