地層大切断面

15分で歩ける距離を2時間以上かけて隅から隅まで見て歩きました。
大小様々な大きさの石が混ざっているのは、1700年前の大噴火で島の真ん中に大きな凹地(カルデラ)ができた時の噴火で流れてきた低温火砕流。

せいぜい300度ぐらいで木が燃えたり、火がつくようなものではない。
その下の層にまでめり込んでいる人の頭サイズの石は、最初かほぼ同時の噴火で吹き飛ばされてここまで飛んできたものだそう。(すみません、写真撮れていないのでいつか現地で探してください)
のっぺりした黄色い2つの層が2つ重なっているのは「O63」と呼ばれる 14000年前の火山灰層。

年代による変質で粘土になったもの。表面だけが黄色くなっている訳ではなく、奥まで削っても同じ色で、これは年月を経ることで鉄やカルシウムが少なくなり黒い色が黄色く変化した(粘土になった)ものとのこと。
地層の端から端まで続いていて、最後まで追っていけるのだそう。

綺麗な黄色だし、ずっと見られるとなんだか親しい友達のように思えてきて、ガイド仲間からも「お!O63だ!」というつぶやきが聞こえるほどに😀
こういう年月による変質は、穴だらけの小石(スコリアと呼ばれる)も同様で、発砲が多ければ水が通りやすく変質しやすい。特に小さくて発泡が多いものは変質しやすいそうです。
模様があっていないのは雨で斜めに削られた地面に、次の噴火で火山灰などが積もってできるようです。

かなり複雑な削られ方をした場所もあれば…
かなりスケールの大きな、模様があっていない場所(不整合)もあります。
もっとも大きな、目立つ不整合は14000年前。

これだけの大きな変化がなぜ起きたのか?噴火にともなう地震とか急激な気候変動とか色々な説があり、まだ結論は出ていないそうです。
地層大切断面の中間に見える溶岩流。

何回かの溶岩流が重なっている、谷を流れた溶岩の断面が観察できる場所なのだそうです。
下半分の模様の乱れた曲がった線が不規則に入った部分は…

伊豆大島がまだ浅い海かちょっとした陸地で、水と触れ合って爆発的な噴火を起こしていた時代のものとのこと。
神の根
山側で噴火し、溶岩流の上に乗って動いてきたマグマのしぶきでできた山(スコリアラフトという)か、近くの海岸で噴火して降り積もったものかのどちらか。

数10mのスコリアラフトもあるのだそうです!
真ん中の密なものは、溶岩流ではなく一度積もったスコリアが溶けたもの。

証拠は厚さが同じではないことや、溶岩が流れる時に上と下にできるガラガラ(クリンカーという)がないこと。
ちょっと離れた場所の、グレーの部分は溶岩流が冷え固まったもの。

この違いはわかりやすかったです。
「もし海側に火口はあったとしたらあのあたりではないか?」

「あるいは上から溶岩が流れ、その上にスコリアラフトが乗ってきたか…?」
川辺先生に意見を聞きつつ、景色に見とれるジオガイドたちでした😀
波浮港
港のかなり高い場所にある集落に残る大小様々な石が混ざる切り通しの崖。

ここは一体どうやってできたのか…
結論としては、西暦838年のマグマ水蒸気爆発で火口が空いた時に飛んできたものとのこと。

こんなに大きな石がいっぱい、しかも瞬時に飛んでくるって…怖すぎます(・・;)
1200年前のものがこんなにしっかり残っていて、木も草もあまり生えていないのは、硫黄と水、硫酸、海水や岩の中のカルシウムが反応すると石膏になるため…

「火山灰がセメントみたいになるので植物の根も入れないのではないか?」とのことでした。
この地層には防空壕が掘られている場所もあり、戦後は台風の時、近所の方が避難する場所としても利用されていたようです。きっと硬くて掘るのは大変だったでしょうが、崩れにくくて丈夫な避難壕だったのでしょうね。
ところでここが、マグマと水が接触したのか、水蒸気爆発だけだったのかは、マグマ由来のものが混ざっているかで決めるとのこと。
一つ見本を教えてもらったら「ありました〜!」と声がしました…

あちらこちらで、いっぱいマグマが混ざっていた証拠が見つかりました。

ジオガイド仲間の、楽しそうな笑顔が最高〜!

そして夜の第2回ジオガイド講習会も、後ろの席まで満員の(たぶん80人ぐらいいたかも?)の講習となりました。

とても楽しくて中身の濃い1日でした。
早朝船で来島し、ギリギリまで私たちの疑問に答えてくださった川辺先生(伊豆大島火山との付き合いは30年以上となるそうです!)ありがとうございました!
(かな)